やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

教員の部活顧問制について思うこと

 

授業も始まり、生徒たちも新年度の生活に少しずつ慣れてきた時期です。

そろそろ、人間関係がごちゃつきはじめたり、トラブルも出てくるところですので、同業者の皆さんは気を引き締めていきましょう。。。

 

さて本題ですが、

年度も始まり、引き続き部活動の顧問を務めている先生も多くいると思います。

最近ネット上では、「部活動の顧問制は違法だ!」ということを主張するブログや署名活動をちらちらと見たりします。今日はそれについて思うことをば。

 

結論から言うと、

下方への平準化はやめようよ」です。

 

どういうことかというと、

部活動顧問をめぐって以下のような立場に大別されると思います、

 

A 後ろ向き顧問

「部活の顧問制はおかしい。本当にきつい。土日も練習と試合、給料は雀の涙しか上乗せされないし、実際はほぼボランティア。平日の疲れも取れないし、本業の授業研究の質も落ちる。経験のない運動部になる先生が40%もいるという現状をみても、ストレスの要因。生徒の成長に違う面で触れられるのはいいけど、きつすぎるから改善してほしい」」

 

B 前向き?顧問

「部活動のない学校なんて考えられない。そもそも他の学校は部活動があることが当たり前で、保護者の多く(約90%)も部活動をやってほしいと望んでいるのだから、その要望に応えないわけにはいかない。ましてや「教員になる=部活動に携わる」という認識があって教員になっているのだから、部活動に協力すべきだ。」

 

簡単に書いてしまいましたが、

多くはAとBのような主張に分かれると思います。ネーミングはともかくとして。

で、

・Bが最終的にAを言いくるめる

・Aが現状を受け容れてなんとかやっていく

という方向にいくときに使われる言葉のうち、

 

「他の学校もそうなのだから」

「教員ってそういうものだから」

と、今多数派を占めることを根拠に、正当化してしまう言葉をなんとかしたいといつも思います。

社会学の用語だったか「下方への平準化」という言葉がありました。

 

「自らの現状にネガティブな印象をもっているときに、

他のもっとネガティブな条件にある例をもちだし、

その例より自分はましなのだから、現状でやっていこう」

 

とすることを指すと理解しています。これ、なくしたいのです。

簡単にいうと、「他の◯◯さんよりましだから」というのは、百害あって一利なしだと思っています。

 

なぜなら、結局それは全体を改善する動きに結びつかないからです。

現状を肯定することしかしていないので、新たな動きが生まれません。

今がネガティブだと分かっているのに、その状態をよしとしているからです。

この根拠で語られる部活動顧問論については、とても残念に思います。

 

まあこれって部活動だけでなくて、よく使ってしまう論法なんですが,

結局何も変わっていないし、何もよくなっていないことが多いです。

 

 

うーん、言葉足らずですが、下方への平準化がもたらすものは、現状維持

しかもネガティブな現状維持なので、それすなわち、後退と心得るべきだと思います。

 

このはなしはまた改めます!

では、また!