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やっちゃえ先生ブログ

民間企業→中高一貫校→高校に勤める教員が「やっちゃえ!」をモットーに奮闘中。教員向けの実践ネタも!

なぜ学校に行くのか?に一言で答えるなら‥?

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この学年末の繁忙期にwifiが不調をきたし、久々の更新になってしまいました。

約1週間でしょうか、スマホでいいから書きたい書きたいと思いつつも、半端な記事は書きたくないなあという(不要な)プライドが邪魔しました。

2月となれば、学年末に向けて、1年間の総仕上げです。

自分が携わっている高校生のプロジェクト学習も総仕上げです。

(今帰路ですが最高にワクワクしていて疲れが木曜あたりにどっとくること間違いなし)

 

◯成長の条件とは?

さてさて、タイトルの問いに答えるために、「成長」の話をさせてください。

教員として日々生徒の成長のために、様々な働きかけをしています。

 

こうもいろいろな働きかけをすると、「成長」する生徒には共通する「ある条件」があります。

今回は、人格形成における成長というより、主に「学習面」での成長についてです。

この「ある条件」は大人も共通しているものです。

 

それは、 

一言で言えば、「プライドを捨てられるか」です。

「プライド 成長」で検索するとこんな診断がでてきました(笑)

女性向けのサイトですが、男性の私でも診断は普通にできました。

あなたの成長を妨げるものは? プライド診断|「マイナビウーマン」

 

「新しいもの・こと、に対して自分を開き、

できなかったり揺らいだりする自分をも認め、

新たな自分になってやろうと思えるか」です。

 

そのためには、

できないことを怖がらないこと。

新たな努力の方法を試すこと。

これが必要です。

 

自我がはっきりと自覚できる大人であれば、このプライドを捨て、新たな努力の方法を試すことはある程度思考実験的にできるかもしれませんが、(一部の大人は除く)

身体的にも、精神的にも成長途上の生徒たちには、幾分難しかったりします。

プライドを捨てる、ためには「自己肯定感」が必要だからです。

 

ただこれは、大人にも言えることですよね。

「できる」大人は、(変な)プライドがありません

ビジネスでも、目標に対してあらゆる手段を試してみる。

でも機械的ではなく、そこには熱がある。自己肯定感はあるのです。

そして最後に、結果を残す。

そんな大人が、「できる」大人だと私は思っています。

 

◯タイトルの問いに答えてみる。

なぜ学校に行くのか?

その答えは、

学校は「できない」ことを「できる」ようにする場だから。

というのが、問いに対する一つの有力な答えではないでしょうか。

もちろん、学校に行く意味は様々な観点から検討できます。

私は決して「学力」至上主義者ではありません。

それでも、様々な観点から検討した「学校に行く意味」を包括する答えが、この答えであるような気がします。

 

逆説的ですが、家庭でそれが可能であるならば、学校に行く必要はないのかもしれません。(そうは思いませんが)

例えばアメリカでは、ホームスクーリングが公的に認められていますもんね。

 

 話を戻して、少なくとも日本の学校では、

「できない」けれど、「できる」ようになることを信じて、

一人ひとりの(発達)段階に応じて、授業に代表される教育活動を構成します。

そこには、変なプライドは無用です。

極論すれば、できなくたっていいのです。できるようになるために、努力が出来ればよいと思います。根底にあるのは、自己肯定感です。

 

◯おわりに

①当然ですが、「できる/できない」だけを価値尺度にしてはいけません。

また、一人ひとりの「自己肯定感」と「できる」のためには、様々な配慮が必要です。

 

②私も変なプライドを捨てて、毎日簡単でもいいからその日の学びを記事にすればよかったんですね( ̄▽ ̄)